甘い生活

ビューティフル・ヒューマン・ライフ

鏡みてえな女と、少し大人になった俺

昔の自分のブログを読んでいると、面白くて声を出して笑ってしまうことがある。
こんな些細なことを悩んだり気にしてたりしていたのかと。こんなくだらないことを、ここまで熱量を持って語れていたのかと。

こと俺における、熱がこもっていて笑える文章がどういうものかを紐解くと、要するに「徹底的に主観的であること」だ。自分の内面におけるツッコミ役が不在のまま、思いの丈を100%、ぶちまけることができていた。
それができていたのは2020年前半頃までだ。俺はたぶん、その頃少し大人になった。

俺にとって大人になるということは、「自分自身に客観的なまなざしを向けることができるようになること」だった。

なぜ2020年前半のタイミングか、それは会社から友人まで、あらゆる周囲の人間との軋轢がピークに達したタイミングで、ある女と知り合ったことだった。

その女は探偵をやっているとかいう三つ下ぐらいの女で、たいして可愛くはなかったが刺激的なエピソードトークを持っていて、話が面白かったので何回か会っていた。

会った最後の日のことを話す。最初のうちは面白かった会話が苦痛になっていた。間髪入れず入れてくるマシンガントークは一方的で、キャッチボールではなく暴投の連続という感じ。挙げ句の果てに電車の中で「上野には1000円でしゃぶってくれるホームレスのババアがいる」という話をかましてきた。一緒にいて心底恥ずかしいうえに、単純につまらなくて不快だった。そしてそこで気づいたのは、一連のやり取りが「こんな下卑た話を周囲気にせず公然と話せる自分、ヤバいし、面白いでしょ?自分面白いでしょ?」という、自分が何度も何度も繰り返してきたコミュニケーションであり、それが周囲を疲れさせる行為であるということだ。
俺は激しい同族嫌悪と周囲の乗客への恥ずかしさから、ひたすら彼女をなじるような言葉を投げつけていた。

その後テイクアウトしたカレーを俺の家で食べよう、ということになり、帰宅途中で便意を催した俺は家に着いてすぐトイレへ行った。出ると、家主の俺に許可を取らず勝手に電子レンジでチンをした女が、俺のお気に入りの白い椅子にカレーをぶちまけたところだった。

まず色々ありえないのだが、更に「大丈夫!こういうのは洗剤付けて擦れば取れる!」と食器用ではなく衣類用洗剤を勝手に付けて擦りったもんだから、より汚れは広がった。最後の極めつけは、ヘラッとした表情の「ごめんっ」だった。

俺は怒号を飛ばした。と、同時に走馬灯のように駆け巡ったのは、俺が自分は本当に悪いと思って謝ってるのに「本当に悪いと思ってんのか!」と追撃でキレられた瞬間の数々。そうだ、俺はこの女のこの瞬間のような「ヘラッ」で火に油を注いできたんだ。本当に、はらわたが煮え繰りかえるほど腹の立つ顔だった。「でも、自分はこういう人間なので許してね♪」という開き直りが根底にある顔。やっとそれを鏡で見ることができた。

そのまま帰宅させた。が、流石にキレすぎたかな…と思って反省し、謝罪の連絡をした。

女からは怒りの長文LINEが来た。あまりにもパッションが激しすぎて怖くなり、友人に2度目の謝罪文章を作ってもらって事を納めた。

要約すると「こんな私でも仲良くしてくれる友人がいるからお前みたいなクソ野郎とは縁を切る」といった内容だ。その文章を読んだ時、「仲良くしてくれる友人」の心労を想うと同時に、俺は成長して、甘えても許してくれる人だけじゃなくて、色んな人ともっと関わっていきたい、と思った。

女は俺の悪い部分を写し出す鏡だった。
俺は自分がやってきたことがいかに周りの人間を不快にさせたり疲れさせていたこと、周囲の人間に本当に甘えていたことに気づいた。
厳しく当たってくる先輩、離れていった友人、みんなが言っていたことがようやく理解できた。
自分の中に客観的な視点がやっと生まれた。

そこで気づけて本当に良かったと思う。気づけないまま生きていく人も大勢いるはずだ。
今、先輩とはサシ飲みにもいけるぐらいだし、「本当に大人になった」と言ってくれる。離れていった友人たちは全員、1人残らず戻ってきて仲良くしてくれている。

昔みたいに自分の話をただまくしたてるだけじゃなく、相手の話を聞くこと。今は表面的にではなく、心から気になった上で、相手への話の深掘りができるようになったと思う。会話は1人だけですることじゃない。自分ではなく、相手を楽しませようという気持ちで話すようになった。そして内容にはTPOがあり、相手によって話す内容や表現の仕方、会話の長短を変える。
こんな当たり前のことができていなかったのだ。

ブログでは別に何もかもぶちまけていいと思っているし、それがこのブログの存在意義であり美徳であると思っているのは変わらないが、以前ほど文章に熱がこもらなくなったのは、やっぱり客観性が生まれたからだと思う。

面白い文章を書くことは以前よりできなくなったかもしれないが、以前より生きやすくなったことは間違いない。ありがとう、女。

最後に、女が俺に送ってきた文章を、自分への戒めの意味も込めて下記に記し、この文章を締めようと思う。

        • -

いや〜こちらこそ、満足な謝罪もせず放置しててごめんなさい。
椅子のことはマジで申し訳なかったと思うんですが、1日一緒に過ごしてみて、内心モヤっとする箇所が多すぎてもう縁を切りたいなーと言うのが本音です。
まず私は至らない箇所が多い人間ということは認めますが、それを逐一指摘してくるような人間と一緒に過ごせる程の強さと向上心は持ち合わせていません。
はたして、おふざけにしろ、1日で何回「頭悪りぃなー」って言われたか?悪気がないのはわかるし、そこを一々突っ込むのも大人気ないなと思うから口にはしなかったんですが、私の周りには基本的に他人を「お前」呼ばわりする人間もいないんで、品性のなさに正直かなり衝撃を受けてしまいましたよ。
私は空気の読めない節はあるし、容姿は整っていないし、客観的にみたら劣った箇所のある人間だけど、
学生時代から今に至るまで常にそれを認めて付き合ってくれる人がいたし、何かミスをしても許してくれる人に支えられて生きてきて、恋愛についてもありのままの自分を受け入れてくれる人に愛されてきたという過去があります。そして私は自己肯定感も高く、そこそこ満足のいく人生を送れているので、いまさら⚪︎さんの偏狭な価値観や常識の中に落とし込まれる必要もないかなというのが正直な意見なんですよね。
⚪︎さんと私は表面的には似た部分が多少あるにせよ、私の自認としては真逆の人間です。
⚪︎さんは恋愛ひいては周囲の人間ですらも自己同一性を確立するための道具とみている節があるようですが、そう扱われる筋合いもないですよ。
無意識下で、自身が常にジャッジを下す側に立っているとお考えのようですけど、普段⚪︎さんが虫けらのように扱っている人間それぞれにも意思や感情があり、人生において不必要かつ有害な人間を切り捨てる権利はあるということです。
まあ好き勝手書いてしまったのでさぞかしご立腹のこととは思いますが、私も好き勝手言われたのでお互い様ということで。
今後わかりあえるところもないし、互いに会うメリットもないと思うんで、このへんで失礼します。
いや〜長文でオナニーして1人だけスッキリしちゃってすいません!

⚪︎さんが御自身で思い描く、理想の人生を歩めることを祈っています!

        • -