昨日ブックオフで買った、「明日できることは今日しない」という村上龍のエッセイの中にこんな文章があった。
ページ数とかはいまだるいから略で
普通の人の普通の日記は、醜悪だ。
それを公開するということは、日記を書いた本人が自分の情報に価値があると思っていることにある。~つまり、日記をインターネット上で公開する人は、自分に何らかの価値があると思っているわけで、これほど気持ち悪いことは他にあまりない。
このエッセイと買おうと思ったのは、「趣味の世界には、他者性や批評性がなく、ただ仲間だけがいる。」という章が目に留まったからだ。
早速読んでみたら正に自分のことが書いてあった。苦しくなった。
村上龍の言うことはいつも正しく見える。全て強く断言するから。もっともそれは何かを批評するにあたって当然のことだ。
でも特に村上龍の場合は、わかりやすい実績と経験、目力の強さに圧倒されて、何にも言えなくなってしまう。憧れもある。
バンドをやりたい、アニメやコミックを描きたい、役者やダンサーや歌手になりたい、そういう若い連中が掃いて捨てるほどいるらしい。
彼らは何の訓練もしない。
訓練の必要性を感じてさえいない。
それは彼らが「情報を伝えること」に飢えているわけではなく、「仲間」に飢えているからだ。
つまり伝えたい情報があるわけではなく、ただ話してわかり合える仲間が欲しいだけなのである。
前半に関してはこれまでの俺からすればぐうの音も出ない。でも後半部分に関しては、反論したい。
俺は俺の気持ちを伝えたい。伝えた結果としてそれを誰かが面白いと思ってくれればそれで良い。共感してもらえたら嬉しいけど、
仲間が欲しいわけじゃない。
そうやって内々で固まることの気持ち悪さは大学のサークル活動で既に実感している。
だからこそ俺は外部の活動に専念していたわけで。
仲間にブログ教えちゃったけど、、、
とにかく、
俺は俺の失敗を俺の中の失敗に終わらせたくない。せめて誰かに笑ってほしい。じゃないとやってらんないよ。今死ぬよ?
井の頭公園のカップル共を全員池に引きずり込む最悪な妖怪になるよ?
何の訓練もしないって言われてるけど、本読んで、考えて、書くことが文章力を鍛える三法だって「説得の文章術」に書いてあった。
だからこのブログを書くことも一応訓練になってるってことで、どうでしょう?
ボディーブロー喰らいまくってふらふらになったボクサーのようにこの文章を書いた。吐きそう。
今日の短歌
ナチュラルに虫が死んでるベッドにて宇宙飛行士になる夢をみた