甘い生活

ビューティフル・ヒューマン・ライフ

生きる力について。

さっきまで書いていた文章が全て消えてしまった。根詰めて書いたものが一瞬で消えてしまうのはパソコンで書くことの弊害か。
まあ手書きで書いてもどうせコーヒーぶちまけたりするだろうからあんま変わんねえ。


午後六時、家を出た。昨日行けなかった皮膚科へ。
毎回思うけど駐輪場の自転車が邪魔だ。ダンロップの白い自転車と銀色の安っぽい自転車。こいつらの持ち主は倒しても倒しても通路側に置いてきやがる。一回手でどかそうとしたらミスって血豆が出来た。だからもう蹴り飛ばすことにしている。クソしょうもねえ自転車を選ぶことからも分かる様に、ダサくてしかも程度の知れた人間に違いない。



近くで行われている夏祭りを横目に、皮膚科に着く。俺の病は脂漏性皮膚炎という難治性の皮膚病だ。痒い上にハゲの原因にもなるので症状が酷くなっている時は心身ともにダメージを受ける。治療法を探した上でやっとたどり着いたのが液体窒素療法だ。どうあっても痒い時はたまにあるが、これは効果があった。

毎回思うけど週1で液体窒素頭皮にぶっかけてる奴なんてそうそういないだろうなあ。理科の授業で初めて見た時、これを定期的に浴びることになるなんて思いもしてなかった。

外に出て、夏祭りにちょっと寄っていこうかなんて思うが、一人で居る夏祭りほど悲しいものはないなとすぐに思い直した。ジッタリンジンの夏祭りをBGMに駅へ向かった。君がいた夏なんて俺には一度も無かったけど、心地良い寂寥感に包まれる。ホワイトベリー版には無いあの切ないギターソロできゅんきゅんきてしまう。

浴衣姿の女子高生かわいかったな、、抱きしめてくれ、、、


そしていつもの喫茶店へ。植島啓司「生きるチカラ」を読破。良かった。

渡辺淳一「鈍感力」阿川佐和子「聞く力」中森明夫「寂しさの力」等、力がタイトルに付けられている本は往々にして役に立たない。特に鈍感力は酷かった。感性をすり減らして周囲の雑音をはねのけることが鈍感力だと解釈したけど、臭くてくしゃみのでかいおっさんとかめちゃくちゃ鈍感力あると思う。俺はそんな人間になりたくない。

人間を人間たらしめているのは「行動に一貫性がないこと」によるのである。
植島啓司、『生きるチカラ』、集英社新書、2010年、p147

この文章を読んだとき、今までの俺が肯定された、と思った。

自主映画で役者やったり、演劇やってみたり、シナリオライター講座に通ってみたり、キャスティングプランナー目指してみたり、それら全て諦めたり逃げ出してみたり。

全部中途半端にかじっただけだ。続ければ上手くいくこともあったかもしれないけど挫折してしまったのは確かだ。
就職活動を少しやってみたがそれも上手くいかなかった。近頃の俺は絶望的な無力感に苛まれていた。

でも。
成功も失敗も巡り巡る。一度も挫折したことが無い人は、年を取ってから初めて挫折をして死ぬまで立ち直れないかもしれない。何度も失敗してきた人は少なくとも一度目の失敗よりは動じない。

好きな子にフラれてからストーカーし続けた気持ち悪さを買われて、民放でドラマの監督をやるような人の自主映画の主演が出来た。おかげで友達も増えたし大学生活において一番充実した時間を過ごすことが出来たし。その流れで演劇にだって挑戦できた。

俺の人生においても失敗→成功は実際の経験としてあったわけだ。

人生迷ってナンボ、失敗してナンボ。大事なのは何かやってみることだ。ベッドでうずくまっていたら、幸運も、不運すらもやってこない。
だから俺はこのブログを書き始めたし、外に出るんだ。
何かしよう。なんでもいい。趣味でも何でもいい。何か一つに拘ることだってない。そして行動の結果する失敗も成功も全て受け入れること。その経験で強くなっていくこと。それが「生きるチカラ」になるんだっていうことをこの本は教えてくれた。

なんだっていいからとにかくもがくしかねえんだ。


読み終えてちょっぴり熱くなった俺は勢いのままにペンを探した。気になっている店員さんが居たから、連絡先を紙に書いて渡そうと思った。でも今日はたまたま持って無かったからやめといた。いや、今度来た時は?とか冷静になった瞬間に失敗のリスクが浮かんで来てしまい、さっきまでの俺はなんだったんだ、と少し笑ってしまった。

店員さん、めちゃくちゃ可愛いわけじゃないんだけど笑顔と声が良い。落とした一円玉速攻で拾ってくれた。優しい。「いつもありがとうございます」だって。あれは俺のこと好きだろ。抱きしめてくれ、、、


今日の短歌

墓場へは持っていけない言葉たちお前らの血は確かに赤い