甘い生活

ビューティフル・ヒューマン・ライフ

「こちらあみ子」今村夏子著 俺にもあみ子が生きていた

あみ子はちょっと頭のネジが緩んでいる女の子で、目の前のことにとにかく真っ直ぐに向き合う。特に大好きなのり君に対しては一生懸命。でも真っ直ぐ過ぎて周囲の人間関係に軋轢を生んだり、自分自身が傷ついていることにすら全く気づかない。大好きなのり君に殴られても、痛いのは身体だけだ。
物語が進んでいって環境がどんどん変化していくのに、あみ子は何も変わらない。

読んでいて昔の自分(5年くらいしか経ってないけど)に重なった。好きな子以外周りが見えなくなって、友達に「この子可愛いでしょ」って写真を見せてみたり、その子の実家の近所や母校まで行ってその子の気配を嗅ぎとろうとした自分。その子だけが至上で、他はどうでも良かった。好きな音楽や本や映画、よく行く店、その子が通う偏差値の高い大学、書く字の美しさ、メールアドレス、生年月日、その子にまつわるのもの全てが輝いてみえた。
告白して振られた時、その子はミスターコンテストで入賞するようなかっこいい男と付き合ってたけど、「太陽みたいな人」って言ってたから、その人の顔じゃなくて人間が好きなんだなと思って良いな、と思った。
そいつと別れて俺とも仲が良かった先輩と付き合った時も先輩に嫉妬する気持ちなんて一ミリも無かったし、ますます良いなと思った。
その辺りでその子に対する気持ち自体は薄れていたけど、至上の人であることに変わりはなかった。

凄くくだらないことかもしれないし、特に女の人には罵られそうな気がするんだけど。

そうじゃなくなったのは、さっき言った先輩と別れて、顔採用で有名な企業の一般職に就いて総合職の男と付き合い始めた、という話を聞いてからだ。

一言で言うと、幻滅した。
その子っていうか、そういう風に成り立ってる世界に幻滅した。
全く身勝手な話だ。けどそう思ってしまった。
そもそも振られた時に「私、○○君が思ってるような人間じゃないですよ」って釘を刺されていたのに、そこでようやく気づいた。全然普通の人だったってことに。

俺はその子の見た目と、分け隔てなく人に優しくする所と、頭が良い所と、不器用さと、か弱そうな所が好きだった。

でも「自分の武器」をちゃんと自覚できてるんだなと思った時に、イメージが崩れた。

あの子でこうなら世の中は何もかも当たり前過ぎるなと思って、どうでも良くなってしまった。

最近女子アナと売れてないお笑い芸人が付き合ってるのが世間を賑わせていて、それが賞賛されているのが気持ち悪いなと思っていた。望めばいくらでも良い男が手に入るはずなのに、たいして売れてもいない芸人と付き合う女子アナが素敵だと。プロ野球選手と結婚するような金目当ての女子アナとは違うよねって。
馬鹿じゃねえの、って思った。利用できるものはとことん利用すれば良いじゃん。それを批判するのはただの僻みでしかないでしょって。

よく考えて見たら俺もその馬鹿のうちの一人だ。プロ野球選手と結婚する女子アナをディスるクソババアとかもなーんも変わりゃしない。

でも、それは好きだったあの子が、世界のくだらない道理みたいな所から外れた所に一人で立ってると思ってたからだ。ぴっかぴっかに輝いて。世間の暗がりにぽつんと立つ灯台みたいなものだった。俺はその灯りを見て、ほっとすることができた。そこに向かって進めば良いだけだった。

あみ子は光しか見ていない。この小説の凄い所は、あみ子のそういう視点で全ての世界が描かれていることだ。周りで起こることはあみ子にとってはただの出来事でしかない。そしてそれが最後まで淡々と描かれているだけ。あみ子はあみ子のまま。

ずっと目の前のことに真っ直ぐで一途でいるのは大変だし、悲しい。でも憧れるから、心を動かされるから、この文章を綴っているんだと思う。

笑えるのは、この本を知ったきっかけがその、かつて好きだった女の子だってことだ。