甘い生活

ビューティフル・ヒューマン・ライフ

夭折した天才詩人、山田かまちの「17歳のポケット」が最高だった。

就活に打ち込むことも出来ず、かといって恋愛に現を抜かすことも出来ない。何かの誘いがあればすぐに飛びつくが、そんな日はたまにしかない。
何の誘いも無くて蒸し暑い部屋で一人で腐っているとそのまま本当に腐って死んでしまう様な気がするので、
このままだとダメだ、という焦りがようやく出てくる夕暮れ時に、本を持って喫茶店へ出かけるのが日課になっている。

喫茶店は何か作業するのにうってつけの、最高の場所だ。他人に介入したがる人種がいない。皆それぞれのテリトリー内で慎ましく過ごす。
ファストフード店やファミレスは無神経な輩が多過ぎるし、かといってスタバやドトールみたいな「カフェ」は若くて綺麗な女が気になって集中出来ない。

ちなみに浪人時代、近所にあるガソリンスタンドに併設されたプロントの隅で縮こまって勉強していたら、帰り際に地元のFラン大の学生らしき二人組から「家で勉強しろよ」と吐き捨てられた経験がある。

店のコンセントを勝手に使って携帯を充電していた女子高生には何も言わなかったくせに。
俺はコーヒー二杯頼んだし消しカスちゃんと集めてティッシュにくるんで帰ったのに。

いつも通っている古めの喫茶店は年齢層も高めで、席数も多いし、ソファーはふかふかだし、コーヒーが100円でおかわりできるので、長時間過ごせる。
そして、店員さんに二人可愛い人がいる。これもここに通う理由の一つ、というか半分以上を占めている。
この二人というのがミソで、たまにいる、というのが良い。
たまたまいたときの、メロンソーダに入ってるチェリーを食べる時みたいな、ちょっとした幸福感。


今日は山田かまちの17歳のポケットを読んだ。最高だった。


地元でドライブしていた時に見つけたひなびた古本屋の片隅に、丁寧に置いてあった。
吸い寄せられるようにこの本を手に取った。国語の教科書で見かけたんだったか、前々から名前だけは知っていたが、今読まなくちゃいけない、となぜか思った。
水木しげるが描く妖怪みたいな顔をしているおばさんに、「良いの選んだね。買ってくれてありがとう」と言われたのが嬉しかった。

最近は何とか誤魔化さずに真剣に不安になってきているので、ビシビシ敏感になって自分が欲しいものを得るための感度が高くなってる。
解決策を、前に進む為の言葉を、そして共感を、安心感を求めるから。


「愛されたい」という詩に心を打たれた。

昔は、恥ずかしかった。

恥ずかしいことが苦しかった。

今は何も恥ずかしくはない。

ただ苦しい。

悲しい。

とても寂しい。

(引用:山田かまち『17歳のポケット』集英社、1993年、p.152[愛されたい])

良い詩は沢山あったけど、この部分で、「40年前死んだ天才高校生と今の自分が完全にリンクしちゃったよウワッ!」てなってしまった。
恥ずかしいことは確かに苦しかったはずなのに、もう全然恥ずかしくなくなっちゃってこんなブログにごちゃごちゃ書けるようになって、ただ苦しい悲しい寂しい。

俺じゃん。かまち、俺じゃん。

今の俺は共感を求める気持ちと自己憐憫まみれのゾンビだ。そんなダサくて気持ち悪い俺をお前みたいな天才と重ねてしまって、かまち、ごめんな。


あとはかまちが好きだった女の子、佐藤真弓への執着が、好きだった女の子を追い続けていた自分を見てるようで抱きしめたくなった。
好きな女の子の名前ノートに書くよなあ。ローマ字で書いちゃうのとかめっっちゃわかるわ~~~俺はひらがなでも書いたわ~~~


思う。


俺はできればいつだって自然体、生身で生きたい。周りに虚勢を張ることはできればしたくない。できれば。できればできれば。
生身で生きようとすると、それだけ受けるダメージもデカい。だから周りからの視線とか言葉が怖くなっちまう。やな重力に歪められて背中と首が曲がってくる。やな重力に締め付けられた心臓がバクバクする。
だからといって無理にカッコつけようとするとどうしてもボロがでるし。疲れるし。

全てを受け入れる力が欲しい。

渋谷辺りにゴロゴロわいてるデカい音立てて街を闊歩してる奴らみたいな、肩ぶつかっただけで「死ねよ!」って叫んでくるおっさんみたいな、冴えない男を指して「不細工じゃね!」って聞こえる声で叫んでくる女子高生の集団みたいな、虚勢を張ったゆえに周りに不快感を与える人間を見ているとみんなみんなぐちゃぐちゃになって死んでしまえばいいのにと思うから、そうはなりたくない。できれば。できればできれば。

そしてブス!ブス!なんてネットで叫んでる俺はそれこそ不快感の塊でしかないだろうし、
渋谷のゴミ以下かもしれねえし、死んだほうがいいのかもしれないな、なんて気になってきた。ぐるしい。

自分で投げたバナナの皮踏んでコケるような人生ってシロップ五十嵐も歌ってたけど正にそれだな。

ごめん!今は今言いたいことが言いたいので、見過ごしてください!
どんな人間にも好かれるような人間に、矛盾のないまっすぐな人間に俺はなれそうもない!
お前を殺して俺も死ぬ!


俺は細かい部分まで全部言いたくなってしまうので、人と話していても、決まって話が脱線してしまう。

山田かまちの話に戻る。


辛いもんは辛い。それを心で叫んで(俺はブログなんかで叫んでる)、それでも頑張ってる奴らってのは最高にカッコいい(頑張れてない俺は最低だ)。
強い奴の言葉は当てにならない。弱い奴がなんとか必死こいて生きてる、そんな姿の方が俺にとってはリアルに映る。

だから山田かまちはめちゃくちゃカッコいいなと思った。生身で頑張ってたんだなと思った。
前書きで俵万智も書いてるけど、普通の人なら逃げてしまう部分に、弱さに目を背けずに全力で向き合ってるから。

とりあえず俺は就活に向き合わなくちゃ、頑張らなくちゃ。。


今日の短歌

エレキギター抱いて死んだ少年はアンバランスの向こうへ行った